永久スピンらせん状態を用いた電子スピンの長距離輸送

国橋要司1 眞田治樹1 後藤秀樹1 小野満恒二2
1量子光物性研究部 2機能物質科学研究部

 半導体中の電子スピンは電界効果型スピントランジスタや固体量子計算機の量子ゲートなどの次世代の論理デバイスへの応用が期待されている。電子スピンを固体素子中で活用するためには、電界によるスピンの長距離輸送と歳差運動の制御技術とを確立する必要がある。このスピンの電気による制御にはスピン軌道相互作用に起因する有効磁場の利用が有効である。しかし、この有効磁場の向きは電子スピンの運動量に依存して変化するため、電子のランダムな散乱によってスピン緩和が促進され、電子の長距離輸送が困難になる。近年、III-V族半導体ヘテロ構造中では起源の異なる2種類のスピン軌道相互作用を等しくすることで、有効磁場の方向が電子の運動量に依存しなくなり、スピン緩和が強く抑制される永久スピンらせん(Persistent Spin Helix: PSH)状態の存在が報告されている。本研究では、GaAs量子井戸中においてPSH状態を実現することで、ドリフト運動する電子スピンの輸送距離が増大することを実証した[1]。
 試料は井戸幅25 nmのAl0.3Ga0.7As/GaAs/Al0.3Ga0.7As単一量子井戸構造を用いた。エピウェハを半透明Auゲート電極付きの十字型のメサ構造にプロセスし(図1挿入図)、温度8 Kにおける電子スピンの空間分布をポンプ・プローブ法による空間分解カー回転測定によって決定した。図1にPSH状態において拡散およびドリフト運動する電子スピンの空間プロファイルを示す。面内電界を印加することによって、100 µm以上にわたる電子スピンのドリフト輸送が観測された。また、ゲート電圧の印加によって有効磁場の強さを変化させると、それに伴ってドリフトスピンの歳差運動周期も変化することが明らかになった[図2(a)]。スピンの減衰距離lS(電子スピンの濃度が1/eに減衰するまでの距離)のゲート電圧依存性を評価した結果、PSH状態近傍において、電子スピンの輸送距離が最も長くなった[図2(b)]。この結果は、スピンドリフト拡散モデルに基づくシミュレーション結果ともよく一致しており、PSH状態によるスピン緩和の抑制効果がスピン輸送距離の増大に寄与することを示している。本研究において実証されたPSH状態を用いた電子スピンの長距離輸送およびドリフトスピンの電気による制御は、今後の電子スピンのデバイス応用に対する重要な知見を与える。

図1 拡散およびドリフト運動する電子スピンの空間分布。挿入図は試料の概略図。 図2 (a)[1-10]方向にドリフトするスピンの空間分布のゲート電圧依存性。(b)スピン減衰距離lSのスピン回転長LSO依存性。LSOはドリフトスピンが1回転するまでの距離でゲート電圧に反比例する。