グラフェンエッジのラマン分光で見える結合性・反結合性分子軌道

佐々木健一 加藤景子 都倉康弘 鈴木哲
量子光物性研究部 機能物質科学研究部

 グラフェンは、従来の半導体にはなかった顕著な性質を持つ。その一つに擬スピンと呼ばれる分子軌道の自由度がある。通常、結合性軌道は反結合性軌道に比べエネルギー的に安定であるが、グラフェンはそれらが縮退している特殊な系であり、重ね合わせ状態を作るのにエネルギーを必要としない。この重ね合わせの自由度を、実スピンの方向がアップスピンとダウンスピンの重ね合わせで決まるように対応させたものが擬スピンである。我々はグラフェンの擬スピントロニクスを模索している。
 アップスピンとダウンスピンを識別することはスピントロニクスの要であるのと同様に、擬スピントロニクスにおいても2つの擬スピン状態を識別することが重要である。実スピンの方向は磁場で変わるが、擬スピンの方向を変えるのはグラフェンに加えられる応力(ストレイン)である。物質にはフォノンという内在型ストレインがあり、擬スピン方向は電子とフォノンの相互作用により決定される。ラマン分光は擬スピンの方向の情報を得るのに適している。我々は、グラフェンエッジのラマン分光では、結合性・反結合性軌道に対応した2つの擬スピン状態が自動的に識別されることを見いだしたので報告する。
 グラフェンエッジでラマンスペクトルをとると、Dバンドと呼ばれるスペクトルが現れる。Dバンド強度は強い偏光特性を有し、レーザの入射電場がエッジに平行なときに最大強度、垂直のときに最小になる[1]。最小値は最大値のおよそ10 %から20 %くらいの値が報告されている。この偏光特性の起源を考察した結果、Dバンドが、炭素間結合の伸縮運動のみからなる特殊なフォノン(ストレイン)であるために、結合性・反結合性軌道とのみ選択的に強く結合することによるものであることを明らかにした[2]。つまり、グラフェンエッジに光をあててDバンドを観測することは、様々な擬スピン状態が寄与しえる可能性の中で、特に結合性・反結合性分子軌道に対応したアップ擬スピンとダウン擬スピンだけを選択的に観測していることと同じである[図1(a)]。
 また、Dバンドが2つのサブピークに分裂すると予測している[図1(b)]。振動数の高いピークが結合性軌道、低い方が反結合性軌道の電子状態から励起される。この分裂により、アップ擬スピンとダウン擬スピンをラマン分光で識別することが可能である。このDバンド分裂の直接の観測例はまだないが、理論で期待される振舞を示すサブピークが所内のナノチューブの実験[3]で観測されており対応関係を精査中である。

[1] C. Cashiragi et al., Nano Lett. 9 (2009) 1433.
[2] K. Sasaki et al., Phys. Rev. B 85 (2012) 075437.
[3] S. Suzuki and H. Hibino, Carbon 49 (2011) 2264.
 

図1  (a)グラフェンのエネルギー分散関係。
Dバンドのフォノンを選択的に放出する電子を黒丸と白丸で示した。
これらの状態が結合性、反結合性分子軌道に対応した2つの
擬スピンアップ、ダウン状態である。
(b)Dバンドの分裂の概念図。

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