ナノ空間における生体分子のテラヘルツ分光

味戸克裕1 Rakchanok Rungsawang1 富田 勲1,3
1機能物質科学研究部
2NTTマイクロシステムインテグレーション研究所 3NTTフォトニクス研究所

 テラヘルツ(THz)波は0.3〜10THz程度の周波数帯域を示し、プラスチック、紙、ゴム、木材、セラミックなど物質への透過性があり、分光法として分子間や分子内に働く弱い水素結合やVan der Waals力などが関係する分子固有の振動情報が得られることで注目されている。室温に相当する6THz(約200cm-1)以下の遠赤外吸収分光を測定するのは、最近まで容易ではなかったが、THz電磁波パルスを用いるTHz時間領域分光法(THz-TDS : Terahertz Time-Domain Spectroscopy)の進展によって、安定で感度良く測定可能となってきた[1]。
 我々は、これまでアミノ酸や糖などの生体関連分子がTHz波領域に水素結合など分子固有の振動ピークを持っていることを明らかにし、新たな定量分析法として有効であることを示してきたが[2]、分子間と分子内の振動モードの区別は困難であった。そのため、図1に示すように分子レベルで配向している単結晶アミノ酸の角度依存THz-TDS測定を行い、非経験的分子軌道計算結果との比較によって、ほとんどのピークは分子間の水素結合と考えられるが、分子内振動モードはテラヘルツ波の偏光方向(90°付近)と振動双極子モーメントの方向が一致するときのみ吸収の著しい増大が起こることが分かった[3]。
 また、図2では異性体の有機酸を用いて結晶状態(ポリエチレンとの混合ペレット)とメソポーラスシリカの細孔中への吸着状態のTHzスペクトルを比較した。その結果、ナノスケールの細孔への吸着により分子間水素結合の影響が低減されたフマル酸では大きな違いがあったのに対して、分子内に水素結合を持つマレイン酸ではほとんど変化がなかった[4]。このように、THz分光はナノ空間での分子内・分子間の相互作用の情報が得られることが明らかとなった。これらの相互作用はタンパク質の高次構造を形成するのに深く関わっており、今後THz分光が分子レベルでの生体分析の新たな分野を切り開くことが期待される。

[1] K. Ajito, R. Rungsawang, I. Tomita, and Y. Ueno, Electrochemistry 74 (2006) 506.
[2] Y. Ueno, R. Rungsawang, I. Tomita, and K. Ajito, Anal. Chem. 78 (2006) 5424.
[3] R. Rungsawang, Y. Ueno, I. Tomita, and K. Ajito, J. Phys. Chem. B, 110 (2006) 21259.
[4] Y. Ueno, R. Rungsawang, I. Tomita, and K. Ajito, Chem. Lett. 35 (2006) 1128.
 

図1 L-システイン単結晶の角度依存THzスペクトル。(0°ではc軸にTHz波の偏光が平行)
  
図2 結晶状態とメソポーラスシリカの細孔への吸着状態のフマル酸(上)とマレイン酸(下)の77Kで測定されたTHzスペクトルの比較

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