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2013年03月18日

磁場を使わずに電子スピンの向きを任意方向に変えることに世界で初めて成功

~量子コンピュータの実現につながる新現象「移動スピン共鳴」を発見~

 NTT物性科学基礎研究所と国立大学法人東北大学は、ドイツのポール・ドルーデ固体エレクトロニクス研究所と連携し、「移動スピン共鳴(Mobile Spin Resonance)」と名付けた新現象を発見し、半導体内で電子の移動する経路を適切に制御することで、外部から磁場を一切加えずに電子スピン※1の向きを任意方向に変えることに世界で初めて成功しました。

 本研究成果は、2013年3月17日(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Physics」のオンライン速報版に掲載され、同誌の解説記事 News and Viewsでも紹介されました。 なお、本研究の一部は独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成金の助成を受けて行われました。

ニュースリリース
量子光デバイス研究グループ

半導体中のスピンを量子情報処理に利用するためには、「電子スピン共鳴(Electron Spin Resonance)以下、ESR※2」を用いて、個々のスピンの向きを自由に操作する必要があります。しかし、一般的なESRは外部磁場を必要とし、その磁場の発生に要したエネルギーの大部分が無駄になってしまう点が問題とされていました。

そこで今回、外部磁場の代わりに、スピン軌道相互作用*3(半導体内を移動する電子スピンに対しあたかも実際に磁場が存在するように影響する効果)がつくる「有効磁場」を利用した新しいESRを考案しました(図1)。さらに、2011年に発表したスピン軌道相互作用の超音波による制御技術を発展させた実験を行い(図2)、外部磁場が全くなくても通常のESRと同様のスピンの運動が生じる様子を観測することに成功しました(図3)。本現象を用いれば、電子の移動経路の適切な設計により、スピンの向きを任意方向に変化させることが可能になります。

今回発見した「移動スピン共鳴」は、ESRには外部磁場が必要、という一般に知られる基本原理を覆す新現象です。今後は今回の成果をさらに発展させ、電子スピンを使った量子コンピュータの基本素子の実現を目指し、単一電子のスピン操作、複数スピン間のエンタングルメント(量子力学的もつれ)の制御などの研究を進めてまいります。

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図1:通常のESRと移動スピン共鳴の比較
移動スピン共鳴では、通常のESRで必要となる外部磁場の代わりに、スピン軌道相互作用がつくる見かけ上の磁場(有効磁場)を利用します。この有効磁場は電子の速度ベクトルに依存するため、電子を適切に蛇行運動させると、ESRに必要となる静磁場と振動磁場の両方を有効磁場だけで発生させることができます。

 

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図2:ダイナミックドットによる移動経路の制御
実験で用いた試料は、半導体量子井戸※4の表面に、スリットを開けた金属薄膜を蒸着してあります。この試料に表面弾性波※5を伝播させると、スリット直下のピエゾ電場※6が周囲よりも強くなり、動く閉じ込めポテンシャル(ダイナミックドット)を形成します。この原理を利用し、スリットの形状で決まるチャネルに沿って電子を移動させることができます。

 

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図3:磁気光学Kerr効果※7による移動スピン共鳴の観測
直進および蛇行したチャネルに沿って移動するスピンの空間分布を磁気光学Kerr効果を用いて測定しました。その結果、電子を蛇行運動させた場合に、外部磁場が全くない状況においてもESRに特徴的なスピンの運動(ラビ回転※8)が観測されました。

 

【用語解説】

※1 電子スピン
電子は負の電荷を帯びた粒子であると共に小さな磁石としての性質をもつ。この磁石としての性質を古典的な球の自転になぞらえて「スピン」と呼ぶ。スピンは量子力学的な状態であり3次元空間内のベクトルで表現される。

※2 電子スピン共鳴(Electron Spin Resonance: ESR)
静磁場の中に置かれた試料中の電子スピンに対し、上向き・下向きスピンの準位差に等しいエネルギーを持つ振動磁場を照射したときに、エネルギーの吸収・放出を繰り返しながら準位間の遷移が生じる現象のこと。この現象を応用した分光法では原子や分子および固体の電子状態に関する情報が得られるため、様々な研究分野で広く利用されている。最近は、ESRの技術を量子情報処理に応用するための研究も注目されている。

※3 スピン軌道相互作用
電場の中を運動する電子が実効的に磁場を感じるという相対論的効果。半導体中では結晶構造や量子井戸などの構造による局所電場が原因でその効果が発現する。

※4 量子井戸
電子に対するポテンシャルエネルギーが小さな半導体薄膜(量子井戸層)が、ポテンシャルエネルギーが大きな半導体層(障壁層)によって挟まれた半導体構造。量子井戸層の中には電子を効率的に閉じ込めることができる。

※5 表面弾性波
超音波の一種であり、弾性体の表面近傍に集中して伝播する振動。GaAsのような圧電物質の場合、表面弾性波のつくる局所的な歪がピエゾ電場を誘起する。

※6 ピエゾ電場
圧電物質と呼ばれる材料は、外力などで歪を加えると誘電分極が起こる。その結果として生じる電場のことをピエゾ電場という。

※7 磁気光学Kerr効果
直線偏光を磁化した材料の表面に入射した際に、反射光の偏光軸が元の偏光軸に比べて回転する効果。ここでは、Kerr回転角は電子スピンの面直成分の大きさに比例する。

※8 ラビ回転
ESRなどのスピン共鳴現象において、スピンが三次元空間内で振る舞う運動のこと。静磁場中のスピン歳差運動が二次元平面内の運動であるのに対し、ラビ回転は球面をなぞるように三次元空間内を運動する。

 

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