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2017年03月14日

電荷信号とスピン信号の波形計測を実現

―超高速・低消費電力の次世代エレクトロニクス素子創出に道拓く―

東京工業大学 理学院 物理学系の橋坂昌幸助教、藤澤利正教授と日本電信電話株式会社(NTT)の村木康二上席特別研究員らの共同研究グループは、電子集団の電荷とスピン、両方の時間応答信号を計測できるスピン分解オシロスコープを実現した。この手法により、朝永―ラッティンジャー液体(参考)におけるスピン電荷分離現象の直接観察に世界で初めて成功した。

この技術は次世代エレクトロニクスとして期待を集める2つの研究分野、すなわち超高速信号処理に適した「プラズモニクス*1」と、低消費電力化への期待が高い「スピントロニクス*2」の特徴を融合した、高速動作・低消費電力動作の双方に適する高機能半導体素子の開発に役立つ。

この成果は「カイラル朝永ラッティンジャー液体における電荷・スピン密度波束の波形測定」というタイトルで、3月13日16時(英国時間)に英国科学雑誌「Nature Physics(ネイチャーフィジックス)」のオンライン速報版で公開される。

ニュースリリース
量子固体物性研究グループ

要点

  1. 電荷信号とスピン信号の時間波形を計測できるスピン分解オシロスコープを実現
  2. プラズモニクス、スピントロニクスにおける基本測定器として期待
  3. 朝永―ラッティンジャー液体におけるスピン電荷分離現象の直接観察に成功

研究の背景

次世代のエレクトロニクスとして、プラズモニクスとスピントロニクスの両分野が注目を集めている。プラズモニクスは電子集団の電荷密度の濃淡を信号(電荷信号)として用いる技術であり、電荷信号が単一の電子よりも高速に伝搬するという特徴を活かすことで、超高速信号処理の実現に役立つと期待されている。一方、スピントロニクスはスピン密度の濃淡を信号(スピン信号)として用いるもので、物質の磁気的性質を介することで低消費電力な信号処理が可能であり、不揮発の磁気抵抗メモリーなどに実用化されつつある。これら双方の特徴を1つの素子で活かすことにより、用途に応じて高速動作と低消費電力動作に併用できる高機能半導体素子の創出を期待できる。

電荷とスピンはどちらも電子本来の基本的性質だが、このような両分野の特徴を融合した高速・低消費電力素子の開発はこれまで積極的に行われてこなかった。その大きな理由は、通常の測定では電荷信号とスピン信号の両方の時間波形を計測することが困難だったためである。

研究内容と成果

オシロスコープは電圧の時間波形を観測できる装置であり、従来のエレクトロニクスの発展を支えてきた基本計測器である。今回の研究では、素子中の電荷信号とスピン信号、両方の波形を計測可能な「スピン分解オシロスコープ」を実現した。

この手法は、スピンの向きによって電子を分別するスピンフィルター*3と、電荷信号を検出するためのナノメートルサイズの時間分解電荷計*4を組み合わせて達成した(図1)。図のように、電荷信号はアップスピンとダウンスピンの電子数の和で表され、スピン信号はアップスピンとダウンスピンの電子数の差で表される。スピンフィルターによってアップスピン電子のみを電荷計1へ、ダウンスピン電子のみを電荷計2へ導いて、それぞれの時間波形を計測する。これらの和と差を計算することにより、電荷信号とスピン信号の双方に対して波形計測を実現できる。

fig_1.png

図1:スピン分解オシロスコープによる電荷信号・スピン信号測定の概念図図1:スピン分解オシロスコープによる電荷信号・スピン信号測定の概念図

今回の研究は、このスピン分解オシロスコープを用いて、1次元電子系におけるスピン電荷分離現象*5の直接観測に世界で初めて成功した。実験は半導体素子中の量子ホールエッジチャネル*6を用いて行われた。電荷信号とスピン信号が異なる速度で伝搬する様子を、2つの波束状の信号を異なる時間に検出することで明らかにした(図2)。今回用いた半導体素子では、同様の試料中における単独の電子の速度に対し、電荷信号の速度は30倍程度、スピン信号の速度は3倍程度であることが確かめられた。

このスピン電荷分離は1次元電子系の物理(【参考】朝永-ラッティンジャー液体)を象徴する現象であり、この研究によって世界で初めて分離された電荷・スピン波束の波形測定が達成された。この結果は物性物理学における重要な学術的成果であるとともに、スピン信号の生成・検出の新手法としてスピントロニクスへの応用が可能である。さらには高速の電荷信号と、低消費電力動作に役立つスピン信号、双方の取り扱いが可能な新素子創出に役立つ。

fig_2.png

図2:スピン電荷分離現象の測定例(左)アップスピン電子集団(波束)入力時の測定結果(右)ダウンスピン電子集団(波束)入力時の測定結果図2:スピン電荷分離現象の測定例(左)アップスピン電子集団(波束)入力時の測定結果(右)ダウンスピン電子集団(波束)入力時の測定結果

今後の展開

プラズモニクス、及びスピントロニクスは、今後の情報化社会の発展を考える上でのキーテクノロジーである。今回の研究で実現されたスピン分解オシロスコープは、両分野における基本計測器として、今後の研究の進展を促進する。この計測技術を今後、さまざまな材料・素子に対して適用することにより、高速・低消費電力の次世代エレクトロニクス素子の開発に繋がる。プラズモニクスとスピントロニクスの利点を融合させた「スピンプラズモニクス」と呼ぶべき新しい技術の創出に道を拓くことになる。

この研究はJSPS科学研究費補助金「量子ホール接合系における分数電荷準粒子の生成・消滅過程の研究(新学術領域研究JP26103508、研究代表者:橋坂昌幸)」、「トポロジカル物質ナノ構造の輸送現象(新学術領域研究JP15H05854、研究代表者:藤澤利正)」、「量子ホールエッジチャネルにおける非平衡電荷ダイナミクス(基盤研究(A)JP26247051、研究代表者:藤澤利正)」、「エニオン統計性を有する分数電荷準粒子の2粒子衝突実験(若手研究(A)JP16H06009、研究代表者:橋坂昌幸)」、文部科学省委託事業ナノテクノロジープラットフォームの支援を受けて行われた。

用語説明

※1 ... プラズモニクス
電子1つ1つの運動ではなく、電子の集団運動を制御することで実現される、次世代エレクトロニクス。電荷信号は単一の電子と比較して高速で伝搬するため、これを利用した超高速エレクトロニクスの創出が期待されている。

※2 ... スピントロニクス
電子の持つスピン(電子の自転の向きに相当し、アップスピンとダウンスピンの2種類がある)を制御することで実現される、次世代エレクトロニクス。スピンの向きの制御を介して電気伝導を制御することで、低消費電力のエレクトロニクス創出が期待されている。一部技術はすでにハードディスク読み出し用の磁気ヘッドや不揮発磁気抵抗メモリーなどとして実用化されている。

※3 ... スピンフィルター
アップスピン電子が担う電流とダウンスピン電子が担う電流を分離できる、スピントロニクス素子。本研究で用いた半導体量子ホール系では、電界効果トランジスタ構造を持つ素子によって実現できる。

※4 ... 時間分解電荷計
半導体ナノ構造で実現される、試料のごく近傍に設置可能な微小サンプリングオシロスコープ。試料内の電荷密度の変調を電流に変換することで、高精度の電荷信号測定が可能である。

※5 ... スピン電荷分離現象
1次元電子系において、電子集団の電荷波束とスピン波束が空間的に分離する現象。電荷とスピンがそれぞれ異なる速度で伝搬することに起因する。このような1次元電子系特有の興味深い物理現象は、ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎博士によって最初に提案され、現代では朝永―ラッティンジャー液体論(参考)と呼ばれる理論によって説明されている。1次元電子系は物性物理学にとって理論・実験の双方から興味深い研究対象であるとともに、その特異な電子輸送特性・省スペース性を活かした応用の可能性ゆえに、産業的にも注目を集めている。

※6 ... 量子ホールエッジチャネル
強磁場中の2次元電子系の試料端に沿って形成される1次元1方向伝導チャネル。電子が伝播する方向は磁場の向きによって一方向に決まり、原理的に逆方向に伝播することがないため、1次元電子系のプロトタイプとして優れた性能を示すことが知られている。

 【参考】朝永―ラッティンジャー液体

通常の伝導体では電子の運動が重要であるが、1次元伝導体では電荷、またはスピンを運ぶ電子集団の運動が支配的であり、その電子集団を朝永―ラッティンジャー液体という。1950年に朝永振一郎博士によって、1963年にホアキン・マズダク・ラッティンジャー博士によって、理論が構築され、さまざまな1次元伝導体(カーボンナノチューブなど)でその存在が確認されている。しかし、朝永―ラッティンジャー液体を象徴するスピン電荷分離現象はこれまで観測することができなかった。同研究グループは2014年に朝永―ラッティンジャー液体の励起素過程の観測に成功し、今回の研究でスピン電荷分離現象の直接観察に世界で初めて成功した。

論文情報

掲載誌 Nature Physics
論文タイトル Waveform measurement of charge- and spin-density wavepackets in a chiral Tomonaga-Luttinger liquid(カイラル朝永ラッティンジャー液体における電荷・スピン密度波束の波形測定)
著者 M. Hashisaka, N. Hiyama, T. Akiho, K. Muraki, and T. Fujisawa
DOI 10.1038/nphys4062